医学か、工学か。人生を変えた出会い。(濱口真吾さん 長崎西高44回生-1992年卒)

長崎西高の個性豊かなOBの方々をご紹介する【WOW! 】 へようこそ!編集部の本多です。今回は44回の濱口真吾さんにお話をうかがうことができました。2020年5月現在、神奈川県川崎市の聖マリアンナ医科大学病院にて医師として勤務されている濱口さん。西高時代の話から専門とされる『画像下治療』 のことまで、たくさん話していただきました。

こんな人に読んでほしい!

熱中できることがあんまりないなあ、と感じている中高生/大学生

・漠然と医師になりたいと思っているけれど、実のところあまり知らない…という方

濱口真吾さん プロフィール

44回生(平成4年卒)

出身中学:喜々津中学校

部活動:軟式テニス部

入学した大学:鹿児島大学医学部医学科

現職:医師(聖マリアンナ医科大学病院)

イマイチ熱中するものが無かった、高校生時代

ーー本日はよろしくお願いします。簡単に自己紹介をお願いいたします!

(濱口さん)44回生の濱口真吾(はまぐち しんご)です。横尾中学校から、引っ越しをして喜々津中学校へ。西高には総合選抜で入りました。現在聖マリアンナ医科大学病院で医師として勤務しています。

ーーご家族はいらっしゃいますか?

(濱口さん)はい、妻と、子供が二人です。

ーー西高時代のことを教えてください。どんな高校生活でしたか?

(濱口さん) 私たちの世代は第二次ベビーブームで、一学年13クラス、650名もいました。部活をやっていなかったので、けっこうダラダラと過ごすことが多かったかもしれませんね。はじめソフトテニス部に入部したのですが、練習場所が第二グラウンドで、朝練とか授業のあとに第二グラウンドまで行くのが大変で、いつのまにか退部していました…。

(濱口さん) 家が喜々津で、西高生には珍しいJRでの通学だったので本数も少なく、毎日ホームルームが終わったらすぐに家に帰っていました。同じくJR通学の友達と4~5人で、他愛もないことを話しながら帰る感じでしたね。

(濱口さん) 当時はまだ携帯電話もSNSも無い時代でしたから、卒業したら連絡先もわからず、それでお別れという感じでした。みんなが携帯を持ちだしたのは大学生になってから。西高の同級生とは全然連絡をとっていなくって、それが在京同窓会に参加したきっかけでもあります。

医学か、工学か。悩みに悩んだ大学受験

ーーJR通学!クラスに1人くらいいたような気がします。大学はどうして医学部を選んだんでしょうか?

(濱口さん) 実はけっこうギリギリまで悩んでいたんです。親は建築系の仕事をしていて、漠然と工学部の建築系とか楽しそうだなと思ってもいたのですが、医学もおもしろそうだなと。やりたいことはたくさんあって、そのうちの1つを選んだという感じです。

(濱口さん) 今の高校生はけっこうみんなよく考えているかもしれませんが、当時はけっこうゆるくて(笑)、センター試験の結果次第で考えようかなと。結局センター試験後も悩んでしまい、前期は医学部、後期は工学部で願書を出しました。通った方が自分の人生だと思うことにしようと。でも自分で決めたからどちらに進んでも後悔はなかったと思います。

やりたいことを、とにかくやった!大学生時代

ーーなるほど、そういう決め方は理系の中では珍しいかもしれませんね。大学生活はどうでしたか?

(濱口さん) 大学生活は、やりたいことをとにかくやった!という感じでした。医学部のソフトテニス部ではキャプテンもやって全国大会にも出たし、家庭教師やイベント設営のアルバイトもしたり、とにかく満喫しましたね。楽しかったです。医学部もどんどん学ぶことが増えていて、正直な話、今の学生は大変だなと思います。妻とも学生時代からの付き合いです。

長崎?鹿児島?それとも東京? 進路を決めた卒業式の朝

ーーそれは素敵です!大学卒業後の進路はどうだったのでしょうか?

(濱口さん) これもまたけっこう悩んだんですね。鹿児島に残るか、長崎に帰るか。大学生活も楽しかったのでどちらでもいいと思いました。決断したのは、大学の卒業式の日の朝です。鹿児島には気軽に入れる温泉がたくさんあるのですが、温泉で髪の毛を洗いながら、「よし、長崎にしよう」と。根拠は何もないんですけどね(笑)。

研修医時代と、運命の出会い

(濱口さん) 大学を卒業すると研修医として働きはじめるんですが、当時の医局制度という制度がけっこう変わった制度で。当時は契約書もなく口約束で部活動に入るような感覚でした。長崎大学病院に研修医として入るのですが、給料が安いかわりにいろんな病院に当直のバイトに行かされました。今の時代の研修医制度ではバイトは禁止ですが、当時はこんな感じで研修医のうちからどんどん外の病院で勤務させられました。

ーーその後の進路はどうやって決まっていったのでしょうか?

(濱口さん)将来はやっぱり長崎で、という気持ちもあったので、長崎大学病院の医局を選びました。放射線科です。そこで教授から、「この分野を勉強してこい」と紹介されたのが、放射線診断の一分野である、核医学という分野、その中でも最先端の領域であるPET(陽電子断層撮影)でした。当時この装置を保有している病院は数個しかなく、その中の1つの群馬大学を紹介され、そちらで勉強することに決めました。その群馬時代に、まあ、運命の出会いというか、そういうものがあったんです。

ーー興味ぶかいお話です!運命の出会いというのは…?

(濱口さん)あるとき群馬で「IVR(注:画像下治療)」の講演会があり、そこでお話されていた東京の先生の話に感銘を受けました。「東京にはこんなにすごいことをしている人がいるのか!」と。その先生のもとで学びたいと思い、28歳で上京しました。このときに、なにか自分のスイッチが入ったような気がします。都庁の屋上から東京の風景を眺めて、「ここで自分の力を試したい」という野心が沸き上がったのを覚えています。

これからの活躍が期待される『画像下治療』という分野

画像下治療またはInterventional Radiology(インターヴェンショナル ラジオロジー、略語:IVR)は、放射線医学の一部で画像診断機器を用いて行う低侵襲医療の1つである。
日本語訳として「画像下治療」という言葉が用いられる。「血管内治療」、「血管内手術」を含んだ治療法のカテゴリーであり、「経皮的冠動脈形成術」や肝がんに対するラジオ波治療も内包される。なお、「画像支援治療」やもほぼ同義語として使われることがある。エックス線透視や超音波像、CTを見ながら体内に細い管(カテーテルや針)を入れて病気を治す新しい治療分野である。

画像下治療(wikipedia)

ーーその後のキャリアはどのように進んでいったのでしょうか?

(濱口さん)上京以来ずっと、IVR治療の分野に取り組んでいます。もともと放射線診断に進んだのも工学系、メカニック系のものが好きだったので、医学という違う分野に進みはしましたが、なんとなく自分の好きな方向に進んできているのかもしれません。IVRをやるうえで、カテーテルを使った止血の方法など、どうしても救急医療の知識が必要になってくるため、その分野を突き詰めるために現在は聖マリアンナ医科大学病院の救急医として勤務しています。

ーー救急医療というと、とても過酷なイメージがあります。

(濱口さん)大変な部分はありますね。今の救急は交通事故なんかはかなり減っていて、多いのは高齢の方。IVRとは関係ない分野のものをありますが、とても勉強になっています。勤務は週に数回です。

ーー(本多)僕も工学系出身なので、IVRのことは調べてワクワクしました。医師にも様々な働き方があるんですね。

(濱口さん)身近に医師がいない方にとっては、医師のイメージはいまいちつかめないかもしれませんが、医師としてやっていく上では、他の人にはできないことができる、というのが強みになります。何か1つ自分の強みを見つけていくことが大事ですね。

ーー(本多)いかに給与や労働環境がめぐまれていても、やはり何かストレスみたいなものはたまっていきますよね。自分が必要とされているという実感は働く上で重要だと思います。

(濱口さん)そうですね。救急をいつまで続けるかはわかりませんが、救急のことがひととおりわかるようになったら、IVR医に戻って自分の専門性を磨いていきたいと思います。

ーーちなみに、昨今話題のAI(人工知能)と関わりも深そうな分野ですが、どうですか?

(濱口さん)画像診断に関してはAIにとってかわられるかも?という警戒もありましたが、現在はそういう論調は下火になっています。画像診断の技術はどんどん発達していて、件数も激増してかなり忙しくなってきているので、AIが補助してくれるようになればむしろありがたいという考えが支配的になっています。

現役西高生へのメッセージ

ーー高校生の頃の自分自身に向けて、何かメッセージはありますか?

(濱口さん)そうですね、燃焼しきれなかったように思うので…。部活を続けるか、続けないにしても熱中するものを見つけてください!ちゃんとした青春を!(笑)

ーーありがとうございます! 最後に、現役の西高生の皆さんにもメッセージをお願いします

(濱口さん)まずは受験勉強、頑張ってください。そしてこれというものが見つかったら、東京、海外、長崎、場所を問わず、一流の場所で、一流の人と修行するといいと思います。10年やり続ければ、一生の財産になります!出会いは大切です。「この人だ!」と思ったらアプローチをしてみてください。人生を変える出会いというのは必ずあると思います。

ーー(本多)ありがとうございました。僕は医療の分野は詳しくなかったので、高校生の頃は医師というと開業医のイメージしかありませんでした。実際は全然そんなことないですよね。専門医と開業医というだけでも全然違う。

(濱口さん)そうですね。同じ医師でもいろんな仕事があります。いわゆる「西高タイプ」は文部両道、全分野をまんべんなく、という人が多いかと思いますが、現場にいて「この人は強いな」と思うのは、一点突破型の人。専門性が強く、まさにこの分野が天職だな、と思わされる人がいます。最先端のことをよく勉強しているし、もう好きで好きでたまらないという熱意がある。そういう人に出会える確率は東京にいた方が高いように思います。

ーー(本多)僕はIT業界ですが、確かに業界や分野問わずそういう人はいますね。本日はありがとうございました!

(濱口さん)いえいえ、こちらこそありがとうございました。

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