ラグビーが仕事になるなんて(末結希さん 長崎西高64回生-2012年卒)

ラグビーが仕事になるなんて(長崎西高64回生 末結希さん)
ラグビーが仕事になるなんて(長崎西高64回生 末結希さん)

長崎西高の個性豊かなOBの方々をご紹介する【WOW! 】 へようこそ!編集部の野田です。今回は重女子ラグビーチーム パールズでラグビー選手として活躍されている64回の末結希(すえ・ゆうき)さんにお話をうかがうことができました。 2022年3月現在、会社員として働く傍ら、女子ラグビーの選手としても活躍されている末さん。これまでの経緯や現在の暮らしのことを、いろいろとお話してくれました。

こんな人に読んでほしい
  • スポーツが大好きだ!という人
  • できたら社会に出てからも競技を続けたいな…と思っている人

末結希さんのプロフィール

出身中学校:土井首中学校
部活動:ラグビー部
進学先:東京学芸大学
現在の職業:会社員 兼 女子ラグビー選手

3歳から始めたラグビー

ーー今日はよろしくお願いします。末さんはラグビーの日本代表にも選出されているんですよね!まずはラグビーを始めたきっかけを教えてください。

(末さん 以下敬称略)よろしくお願いします。兄がラグビーをしていて、その影響で3歳からラグビーを始めました。
中学までは地域のクラブチームで男子に混じってプレーしていました。
土井首中学校にはいろんなクラブチームに所属しているメンバーがいて、中総体ではみんなが集まって土井首中学校のラグビーチームとして出場しました。

ーー3歳からというのはすごいですね!高校生活はどうでしたか?

(末)西高にはスポーツ推薦ではなく、勉強を頑張って一般推薦で進学しました。
高校の部活動では女子はラグビーの公式戦に出場できないので、最初はハンドボール部への入部を考えていましたが、中学の頃にお世話になった先生の勧めもあって、ラグビー部の顧問の先生と相談してラグビー部への入部を決めました。幸い、練習試合などの非公式戦へ出場する機会は何度かいただきました。

高校の部活動と併せて、福岡の女子ラグビーのクラブチームにも参加していました。
最初のうちは月1回の練習でしたが、徐々に増えていって、最終的には週1回のペースで福岡へ遠征して練習に参加させてもらっていました。
また高校2年生からはカヌー部も兼部していて、スポーツに明け暮れた高校生活でした。

ーーラグビーにカヌー、スポーツ漬けの毎日ですね!勉強など他の西高生活はどうでしたか?

(末)勉強については授業で出される課題が多くて、とても大変だったのを覚えています。クラスの勉強が得意な友達に助けてもらっていました。

高校生活は総じて楽しかったです。友達と笑っていたシーンをたくさん思い出します。
今でも高校の友達とは連絡を取り合ったり、会うことも多いです。

大学でも、ラグビーがしたい!

ーー本当に充実した高校生活を送っていたんですね。大学はどのように選びましたか?

(末)大学でもラグビーを続けたいと思っていたので、その視点で選びました。
たまたま東京学芸大学のラグビー部のコーチが知り合いで、「男子と一緒に練習させてくれる」と言ってくれたので、決めました。
もともと東京や大阪など都会に出ていろんな経験をしてみたい気持ちがあり、親も賛成してくれていたので。

学芸大学ラグビー部のコーチとは高校時代から知り合いで、進学する前からいろいろ相談させてもらっていました。
男子と一緒にプレーできるところ、また学校の先生にも興味があったので教員免許を取れるところの2つが決め手でした。
女子ラグビーの推薦入学は日体大など一部に限られていて、東京学芸大学には無かったので、他の受験生と同じく一般入試で進学しました。

高校2年生まではラグビーとカヌー部の活動に一生懸命でしたが、高校3年生になって受験する大学を決めてから、勉強にも熱が入って頑張り始めて、なんとかなりました。

ーー3年からの巻き返し!西高で部活をやっている人は多いですよね。進学後はどんな生活でしたか?

(末)進学後は大学のラグビー部と地域のクラブチームに入りました。
部活メインで活動しておりクラブチームの方は1年目で辞めてしまいましたが、3年生のときにオリンピックを目指すレベルの選手が集まる新しいクラブチームができたので、私もそのチームへ入りました。
3年生でクラブチームへ入ってからはとくにラグビー漬けの毎日でしたが、大学卒業するまでには無事に小学校の教員免許も取りました。

女子ラグビー日本代表に初めて日本代表に選ばれたのは大学2年生のときでした。
1年生の終わりに女子チームの地域対抗戦があり、おそらくその試合で選んでもらえたのかと思います。
もともと高校生のときは日本代表選手になるようなイメージは持っていませんでしたが、大学の1学年上の先輩が日本代表に選出されたことがきっかけで、自分も目指すようになりました。大学を卒業するまでに日本代表に選ばれなかったらラグビーを辞めようと思って練習していました。
日本代表のキャップ数は10くらいだと思います。最初は15人制の試合に出ていましたが、途中から7人制に移行しました。アジア・欧州・南米など各地へ遠征してプレーできたのはいい思い出です。もちろん旅費は支給されていました。

就職もラグビーで!

ーー大学での日本代表初選出が契機だったのですね。大学卒業後はどこに就職したんですか?

埼玉県の熊谷市役所に就職しました。
大学3年生から入ったクラブチームが熊谷市にあり、その関係もあって熊谷市役所でスポーツ嘱託職員として勤務することに決まりました。2019年のラグビーワールドカップ(日本開催)へ向けた準備をする部署です。まわりには男子のトップリーグ(現在はリーグワン)選手や女子の日本代表選手もいました。

熊谷市役所には2年ほど勤務しましたが、クラブチームの移籍と共に住友電装へ転職して三重県へ移住しました。
社会人2年目のときに15人制のワールドカップへ出場しましたが、1勝しかできず、変わらなければならないと強く思ったことがきっかけです。
ラグビー選手としての成長を求めて、外国から招聘された選手や日本代表キャプテンが所属するパールズというチームへの移籍を決めました。

ーー移籍は大きな決断だったのではないかと思います。ラグビー選手と仕事の2足のわらじは、普通の会社員からすると想像もつかないのですが、どんな生活をされているんでしょうか?

(末)住友電装はパールズの最大のスポンサーであり、勤務先もクラブチームから紹介してもらいました。総務部の広報チームに配属されて、会社に所属するアスリートの広報活動をしています。
平日は朝6時半から8時くらいまでトレーニングをして、9時半から13時まで会社で働き、16時過ぎから19時前までラグビーの練習をする生活です。土日も練習や大会があります。

女子ラグビーでは外国から招聘される選手はほぼプロ契約を結んでいますが、日本人のプロ選手は少なく、ほとんどはスポンサー企業で働くセミプロです。私が所属するパールズの選手もほとんどがセミプロで、住友電装で働いているメンバーもいます。
もともとはセミプロのような働き方ができる選手も少なく、このような形態が広がったのも2015年頃から、2019年のワールドカップを目指した変化だったと聞いています。

これからのこと

ーーワールドカップが無かったら…と思うと不思議なめぐりあわせのような気がしますね。これからのキャリアは、何か展望はありますか?

私は子供のころからラグビーをしていますが、今でも新しい発見がたくさんあります。新しいプレーができたり、仲間たちと勝利の喜びを分かち合えるのもラグビーの楽しみの一つです。
現役選手は35歳くらいまで続ける人が多いです。引退後も希望すれば今の会社でそのまま働くこともできます。
私は引退後のことはまだ決めていませんが、子供にラグビー教えたり、ずっとラグビーには関わりたいと思っています。

ーー最後に、今の現役高校生へのメッセージをお願いします。

私は漠然とラグビーがしたいな、ラグビーを続けたいなという気持ちは持っていましたが、それほど将来のことを考えて活動していたわけではなく、いつもその時に自分にとって大切だと思ったことを、一生懸命楽しんで、頑張っていました。
現役の高校生たちも、今の瞬間を精一杯楽しんでほしいと思います。
それから、私がこうしてラグビー選手になれたように、強い思いを持って本気で何かをやり続ければ、想像していなかった未来が開けることもあるんだなと感じています。何かやりたいことがある人は、諦めずに頑張ってほしいです。

(編集後記 本多)

今回は編集部の61回生野田さんにインタビューを担当してもらったのですが、私も同席させていただきました。

同じ64回生の樋口さんから、西高出身で日本代表になったラグビー選手がいると聞いた時は、驚きました。西高出身のスポーツ選手といえばバスケットボールの田中大貴選手が有名ですが、他にもそんなすごい方がいたとは…。

実際に末さんとお話させていただいて感じたのは、とても自然体で、ラグビーが本当に好きなんだなということ。「今の生活は楽しいですか?」と質問させていただいたところ、すぐに笑顔で「楽しいです!」と答えてくださったのが印象的でした。

好きでずっと続けていることがあるけど「仕事にはならないかな…」と思っている人も多いのではないかと思います。でも意外とそんなこともなくて、本当に好きでずっと続けていれば、時代が変わったり、周りの人が気付いて引き上げてくれたり、思わぬところで道が開けることもあります。

自分の「好き」を大事にする、というのも、進路選びで大切なことだと思いました。

末さん、今回はインタビューありがとうございました!

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