経営力でスポーツはもっと面白くなる!(森貴信さん 長崎西高40回生-1988年卒)

長崎西高校のOBOGたちを紹介するWOW(West OB/OGs Wonderland)へようこそ!この記事を担当した55回生の本多です。

今回は2019年に日本で開催されて大きな盛り上がりを見せたラグビーワールドカップにて、チケット販売の責任者として活躍されたという、40回生の森貴信(もり・たかのぶ)さんにインタビューをさせていただきました

スポーツビジネスの分野で長年お仕事をされている森さん。普段なかなか聞くことのできない刺激的な話を、たくさん聞かせてくださいました。

■こんな人に読んでほしい

・将来、スポーツに関わる仕事がしたい

・部活を一生懸命頑張っているんだけど、将来役に立つのかと不安に思うことがある

・せっかく仕事をするなら、熱くなれる仕事をしたい!

40回生 森貴信(もり・たかのぶ)さんのプロフィール

岩屋中学校出身

高校時代の部活動:野球部

筑波大学卒

株式会社マグノリア・スポーツマネジメント 代表取締役

株式会社Sonoligo 関東エリア・スポーツ分野事業責任者

野球に賭けた高校時代

ー(本多)森さん本日はよろしくお願いします。

(森さん・以下敬称略)こちらこそよろしくお願いします。

ー(本多)まずは中学生時代の話から聞かせてください。

(森)はい。中学は岩屋中学校で、野球部のピッチャーをやっていました。

今でも覚えているのは最後の中総体。県で優勝した滑石中学校に負けたんですが、相手のピッチャーはのちにプロ野球選手になった堀幸一さんでした。中学の試合は7回までなのですが、最終回まで0−0で延長までいったので、よく投げ合ったなと思います。

堀さんは高校は海星高校に進みました。同じ岩屋中の上手かった仲間も、海星に進みました。その年の海星は当時全国でも強豪で甲子園でも優勝候補とも言われていました。

でも私は西高で甲子園に行きたいと思い、西高に進みました。1981年に西高の先輩たちが甲子園に出たのをテレビで見ていて、それを覚えていたんですね。

岩屋中の2つ上の先輩が西高の野球部で活躍していたというのもあります。宮原さんという方なんですが、北陽台高校の野球部の監督として甲子園にも行った方です。

ー(本多)西高ではやっぱり野球づけの3年間だったんでしょうか?

(森)はい、そうですね。受験勉強を本格的に始めたのは高校3年生の秋からでした。でも部活をやっている間も学校の成績はそれなりに良かったです。一度成績が悪くなった時に先生から怒られて、その後は最低限の勉強をしていましたね。

ー(本多)当時の野球部は、今とは練習環境なども違いそうです。

(森)まだ第2グラウンドがなかった時代なので、学校の横のグラウンドで野球部も練習をしていましたね。他の部活と共同で使うので、バッティング練習ができるのは朝練の時だけでした。

高校でもピッチャーをやっていたんですが、怪我もあってちゃんと投げられなかったなという思い出が残っています。3年の5月に練習試合で波佐見高校に勝ったのがベストピッチだったかなあ。波佐見高校は当時、九州大会で3位になった強豪だったのですが、1対0の完封試合でした。

今思い返すと、高校生の頃の悔しい気持ちが、スポーツビジネスを選んだことにも根底でつながっているような気がします。

当時の練習って監督に言われたことをとにかくやるというような環境でした。今ならYouTubeなども使って自分で色々と勉強もできますよね。投げ方や食事、リカバリーの方法など。もっとやれたことがあるんじゃないかなという欠乏感があります。

たとえばですが知識の面で言うと、ピッチャーとしてプロになるには最低でも140kmの球が投げられないといけないと勝手に思っていたんですが、実際はそんなことはなかったんです。後に仕事で関わった西武ライオンズにも140kmの球が投げられないピッチャーはたくさんいました。

そういう意味では今の子たちは羨ましいなと思いますね。

世界で仕事をしたい!

ー(本多)僕はサッカー部だったのですが、今は確かにYouTubeなどで一流のプレーだったり練習方法などを簡単に調べられるので、今の子たちが羨ましいというのは共感します。進学先はどうやって決めたのでしょうか?

(森)大学は筑波大学の国際関係学類に進みました。親が三菱重工で働いていたのですが、海外出張なども多く、漠然と海外で仕事をすることへの憧れがありました。

国際関係学を学べる大学といえば、当時は筑波大学か青山学院大学ぐらいしかなかったと記憶しています。筑波の国際関係学類はできたばかりということで当時東大よりも偏差値が高く、人気でした。

高校で燃え尽きたので大学では野球はもうやめようと思いました。ただ運動不足になるのも嫌だったので、テニスのサークルに入りました。大学のテニスサークルには硬軟色々ありますが、私が入ったサークルはすごく真面目で練習もしっかりして、筑波大学の中では一番強いサークルでした。

野球経験者がテニスをやるとよくある話なのですが、ラケットでボールを打つとホームランになっちゃうんですね。それで「難しい!面白い!」と感じて、テニスには結構のめり込みました。

V・ファーレン長崎の立ち上げに参画 スポーツビジネスの世界へ

ー(本多)ありがとうございます。お仕事は初めからスポーツ関係だったんでしょうか?

(森)いえいえ、やはり海外での仕事に興味があったので、新卒は商社を選びました。トーメンという総合商社です。

ー(本多)どういった基準で会社を選んだんでしょうか?

(森)トーメンにはドラフト制度という面白い仕組みがありました。各部門のトップが集まるドラフト会議というのがあって、その場で自分の希望の部署を言ってプレゼンをするんです。その制度が気に入ったというのが、一番の理由です。

就職活動に関してはそこまで意識が高かったとは思いません。大学3年の終わりぐらいから動き始めて4年の7月あたりに面接をしていくというような流れが普通でした。海外で仕事をしたいという気持ちがあったのですが、他の業界も覗いてみたくて西友やMIZUNOなどにも話を聞きに行きました。

当時はバブルの最後の時代。金融業界含めどこにでも就職できるというような時代でしたね。会社が学生を接待して入社してもらう、みたいな。

だから10月1日の内定式に合わせて各社とも旅行をするんです。他の会社の内定式に行けないようにという囲い込みですね。私も10月1日にはトーメンの内定式で八戸のホテルにいました。

ー(本多)バブル時代、私も体験してみたかったなと思います!スポーツビジネスに移ったきっかけは何だったんでしょうか?

(森)入社した時は、定年までずっとこの会社で働くんだと思っていました。会社にMBAも取得させてもらったので、将来はトーメンの社長になりたいと思っていましたね。

1992年に入社して、転機は2004年でした。トーメンと豊田通商が合併して、トーメンがトヨタグループに入る準備が進んでいたんです。トヨタ自動車は当時海外展開に力を入れていて、海外で仕事ができる人材を探していたという事情もあり、会社の都合でトヨタ自動車に出向となって、そのまま転籍という形になりました。

新卒で入社したトーメンのために一生頑張ろう、と思っていた気持ちが、そこで切れてしまったような感覚でした。トヨタ自動車ではインドの担当を2年間やりました。トヨタは言わずとしれた優良企業。周囲からは「栄転だね」なんて言われたんですが、自分の意思で移ったわけではなかったのでなんとも複雑な気持ちでしたね。

トヨタの車ってインドではやっぱり高級車なんです。インドは貧富の差が激しい国。トヨタの車というと人口の上位1%ぐらいの人しか買えないような贅沢品でした。お金持ちの人たちに車を売るという仕事にも複雑な思いがありました。

それでやめる決断をしたんですが、「トヨタほどの大企業をやめるんであれば、本当に好きなことをやらないと割に合わない!」とと思ってスポーツビジネスをやろうと決めました。

ー(本多)なかなか勇気のいる決断ですね!森さんはV・ファーレン長崎の設立に携わったと伺っているんですが、どういった経緯だったんでしょうか。

(森)それについては自分で切り開いたという感じですね。少し時間はさかのぼりますが、MBAを取った際に修士論文でJリーグの経営について書いたんです。会社からも好きな事業で書いていいよと言われていたので。それで小さい頃から好きだったスポーツを選びました。スポーツを見るのもやるのも好きだけど、ビジネス的な側面ではどうなんだろう?と、興味を持ったんです。

当時武蔵小杉に住んでいたので、川崎フロンターレとFC東京にインタビューをさせてもらいました。慶應義塾大学のMBAの学生ですと言うと、クラブやJリーグの職員の方などもすんなりと取材を受けてくださいました。

ー(本多)サッカー好きとしては、興味深いです。

(森)今でこそ川崎フロンターレはすごいチームになっていますが、当時はまだ発展途上でしたね。親会社である富士通から出向で来ているスタッフが多く、試合は土日なのに、富士通の規定で土日は働けない、みたいな状況です。FC東京も東京ガスのチームなので似たような状態でした。

その論文を書いたのはトヨタを退社する何年も前だったのですが、なんとなくそのことを覚えていて、スポーツの世界ならパイオニアになれるんじゃないかと思いました。

2005年の3月くらいだったかな、インド出張のトランジットで出発を待っていたシンガポールの空港で、V・ファーレン長崎の立ち上げのニュースを見ました。「これだ!」と思いましたね。

それで早速メールをしたんですが、最初は断られたんです。後から聞くと当時全国からたくさんコンタクトが来ていて、何だかわからない怪しい人からもいっぱい連絡が来ていたそうで、全部断っていたらしいんですね。

でもそこで諦めず、ゴールデンウィークの5月3日に帰省するので30分だけ時間をくださいともう一度メールをしたら会ってくれることになりました。帰省というのも口実で、実はそのためだけに長崎に行ったんです。自分なら絶対行けるという自信がありましたね。国見高校の卒業生が中心のチーム。サッカーが強いのは間違いないですが、ビジネスの面を分かっている人が少ないんじゃないだろうかという目論見がありました。実際にその通りで、その場でプレゼンをして、2回めのミーティングで小嶺忠敏先生と握手を交わし、一緒にやろうという話になりました。

スポーツで長崎を盛り上げたいという気持ちでV・ファーレンの立ち上げに参画したことに対しては、西高の野球部の同級生たちもピンと来てなかったと思います。「なんで貴信がサッカーや?」「トヨタをやめてまで、なんで?」と思ったのでしょう。その気持もよくわかります。

ジャパネットたかたに最初にスポンサー営業に行ったのも私です。その時、高田明さんは「全国リーグに行ったらね!」とおっしゃっていたのですが、のちにそれが実現しましたね。2017年にクラブの経営危機が表面化した際も、すでに私はクラブを離れていたんですが、誰に頼まれるわけでもなく高田明さんに「V・ファーレンを救ってほしい」と手紙を書きました。

初代事務局長・取締役として、定款の作成から何から、クラブを企業として立ち上げるための準備は全て自分でやりました。2005年から2007年の3年間は3期連続で黒字。その後サガン鳥栖などを経て、西武ライオンズの黒字化プロジェクトへ参画しました。

ー(本多)サッカーから、野球に移ったわけですね!V・ファーレンの創立に関わった方が野球の仕事もされているとは意外でした。西武ライオンズではどんなお仕事をされていたんでしょうか?

(森)意外に思うかもしれませんが、西武ライオンズは30年間ずっと赤字だったんです。それを2年で黒字化しようというプロジェクトでした。

黒字化の方法というのは大きく分けると3つあります。

1.売上を上げる。

2.コストを下げる。

3.両方一緒にやる

私の強みは、経営の状態を分析して状況に応じてこの3種類を使い分けられることなんじゃないかなと思っています。サガン鳥栖の場合は、3.両方一緒にやる、だったんですが、西武ライオンズでは1.売上を上げる、ことをまず目標にしました。

売上アップのためにまだまだやれていないことも多かったので、ここは取り組めば成果が出るだろうと目をつけました。

ー(本多)クラブ経営の話はとても興味深いです。具体的にはどんな施策があるんでしょうか?

(森)例えばですが、西武ライオンズは西武ドームを所有者である西武鉄道から1年間まるっと借りて、野球だけでなくコンサートでも利用できるようにしました。今はコンサートの営業も実は西武ライオンズがやっているんです。短期的なクラブ経営でいうと、ファンクラブの会員を増やしたりグッズショップの売り上げを上げることも大事な施策です。スポンサー営業も、ある時から広告代理店に依頼するのをやめて、自分たちでやることにしました。自分たちでやると代理店に払う手数料が必要なくなります。

ー(本多)色々とやれることがあるんですね、勉強になります。その後起業されていますが、どういった経緯だったんでしょうか。

(森)はい。西武ライオンズでのプロジェクトが2年目に無事に成功したあと、4年目にその実績を買われる形で親会社の西武ホールディングスへ移りました。西武ライオンズのファンクラブで取り組んだCRM(カスタマーリレーションマネージメント)の仕組みを、今度は西武グループ全体の会員組織「西武プリンスクラブ」に活かしてほしいと要望されました。

1年間その事業に取り組んだあと、やはりもともとやりたかったスポーツの世界に戻ろうと決意し、起業しました。マグノリア・スポーツマネジメントという会社で、スポーツ事業に関するコンサルティングやスポーツ特化型クラウドファンディング事業などをやっています。

ラグビーワールドカップが日本で開催!

ー(本多)いよいよ、独立というわけですね。そこからラグビーワールドカップの運営に携わるというのが、不思議だったのですが・・・

(森)それについては、あまり知られていないかと思うんですが、2017年にワールドカップ組織委員会から公募が出ていたんです。チケッティングやマーケティングの責任者などのポジションでした。何でこんなにたくさん、しかも重要なポジションが公募になるんだろうと不思議に思い、応募してみることにしました。

全部で5つのポジションで公募が出ていたんですが、結局採用されたのは私1人だったそうです。どうして公募だったのかを後で知ったのですが、端的に言うと、ワールドラグビーからの要請だったそうです。ラグビー界の人材だけではチケットを売れないのではないか、外部からプロを招いた方がいいのではないか。そういう理由で公募することになったそうです。

ラグビーワールドカップ2019は、ワールドラグビーとの契約でスポンサー料やテレビでの放映権料は全てワールドラグビーの収入でした。すると日本の組織委員会の収入はチケット料だけということになります。組織委員会にとってもここは生命線です。予選リーグと決勝とナメント合わせて48試合180万枚分。これをどう売るか・・・?

ー(本多)途方もない数字のようにも思います・・実際の結果はどうだったんでしょうか?

(森)はい。実際に販売した数は184万枚、99.3%が完売というラグビーワールドカップの中でも過去最高の記録となりました。

ー(本多)すごいですね!日本戦はたしかに盛り上がっていましたが、その他の試合も売れていたんですね。一体どんな施策をやったんでしょうか?

(森)それはもう単純で、どこが売れていてどこが売れていないかをきちんと把握して売れてないところをとにかく売るということです。

いわゆる票読みですね。この試合には何人入りそうという予測を立てて、足りない分をどうやって販売するか細かく考える。プロ野球の球団ではこういうことを普通にやっているので、西武ライオンズでの経験が役立ちました。

昨今ゲームやECなどネット関連の企業がスポーツ業界に参入してきているのには理由があるんです。こういったデータ分析はネット企業の最も得意とする部分ですよね。

スポーツビジネス・クラブ運営って?

ー(本多)なるほど!そういう理由があるんですね!恥ずかしながら、ゲーム会社は儲かってるなあ、、ぐらいにしか思っていませんでした。

(森)そうなんですよ。でも大成功しているかというと意外とそうでもないんですね。なぜかと言うと、PDCAのサイクルがスポーツってネットの事業と比べると、とても遅いんです。

ネットのビジネスだとトライ&エラーのサイクルって1日とか下手したら数時間とかそういう単位で動いていきますよね。一方スポーツの試合って、例えばJリーグのホームゲームは、2週間に1回しかありません。たぶんその遅さが耐えられないんじゃないかと思います。あとやっぱりスポーツはアナログ的な部分も大事なので。

ー(本多)私も現在ネット関連の仕事をしているので、その感覚はよくわかります。

(森)そうですよね。本業と兼任でスポーツクラブの社長業をされる方もいますが、私個人の意見としてはスポーツビジネスはそんなに生易しいものではないと思います。フルタイムで必死にやってもできるかどうか、という難しい仕事です。

ー(本多)なるほど、とても納得しました。ラグビーのワールドカップ以降はどういったお仕事をされているんでしょうか。

(森)はい。2019年の12月にラグビーの仕事が終わりその後卓球のTリーグに誘われて大阪のチームに1年間携わりました。2021年からは埼玉の卓球チームの顧問を務めています。Tリーグのクラブはまだどこも黒字化を達成していないんですが、私が携わったT.T彩たまは今年初めて黒字になる見込みです。

またそれと並行して2020年からSonoligoというスタートアップに参加して、2021年からは関東エリアの事業責任者を務めています。スポーツをはじめとした文化イベントのサブスクリプションのサービスで、特許も取得している、なかなか面白いビジネスモデルなんです。それと日本陸連のマーケティングアドバイザーもやっています。

棚からぼたもちをキャッチする準備を

ー(本多)様々なスポーツに携わってらっしゃるんですね。では最後に、現役の西高生たちへのメッセージがあれば、お願いします。

(森)そうですね・・。棚からぼたもち、通称タナボタ、という言葉があるじゃないですか。でもぼーっとしていたら、棚からぼたもちが落ちても気づけないですよね。人生って思い通りにならないことも多いです。それはネガティブな意味だけではなく、思いがけないところにチャンスだったり幸運も転がっていたりします。そういう棚ぼたに出会った時に備えて、しっかり口を開けておく、準備をしておくことが大事なんじゃないかなと思います。

例えばV・ファーレン長崎の時は一度断られたけど、諦めずに自分からまたトライをしました。反対にSonoligoと最初に出会った時は、一度こちらから都合が合わず断ったんですが、間に入っていた友人からまた依頼があって、その後縁あって関わらせてもらっています。

自分がやりたいこと、興味があることはすぐに実現できないかもしれませんが、しっかり準備をしておけば、そういっためぐり合わせを逃さず、実現していけるのではないかと思います。

私自身、これからもやりたいことがたくさんあります。今はSonoligoの事業に力をいれていますが、クラブ経営にも興味があります。また長崎への思いもあります。36歳の時に長崎に戻り3年間で離れましたが、もっともっと学んで、長崎に還元したいですね。

V・ファーレン長崎も、特色あるチームになりました。来年竣工となる「長崎スタジアムシティプロジェクト」も楽しみです。

ー(本多)ほんとワクワクしますね!

(森)そうですよね。スポーツクラブって、ある意味特殊な存在だと思うんです。年間の売り上げが10億20億ぐらいの企業で世間で名前を知られている企業ってあまり無いですよね。でもスポーツクラブだと、そのくらいの売上の企業でも大きなニュースバリューがあります。(V・ファーレン長崎の21年度の売上高は19.8億円)

スポーツというコンテンツにはまだまだポテンシャル、活かし方がある。それを経営という側面から伸ばしていくようなことができればと思います。

ー(本多)Jリーグ好きとして、とても楽しいお話を聞かせていただきました。本日はありがとうございました!

(森)こちらこそ、ありがとうございました!

編集後記

その後もJリーグクラブではどこの経営が面白いとか、V・ファーレン長崎はどうやったらもっと強くなるとか、予定の時間を大幅に超えて話が大いに盛り上がりました。

経営力でスポーツビジネスはまだまだ成長する、というお話はとてもワクワクするものがあります。将来スポーツに関わる仕事がしたいという方は、クラブ経営という視点も持ってみると、いろんな発見につながるかもしれません。

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