出番を増やす(川下勝也さん 長崎西高39回生-1987年卒)

長崎西高のOBたちを紹介するメディア、WOWへようこそ!今回は39回生の川下勝也(かわした・かつや)さんにお話をうかがいました。

「ニコニコ動画」で有名な株式会社ドワンゴの上場に携わったという川下さん。証券会社時代のお話やベンチャービジネスのお話など、刺激的なこれまでのキャリアのことを色々と聞かせていただきました。

川下勝也さんのプロフィール

出身中学:附属中学校

西高時代の部活動:バドミントン部(国体強化選手)

出身大学:筑波大学

お仕事:野村證券→シティバンク銀行→ドワンゴ→ニトリ→ドワンゴ→株式会社レボーン。現在は株式会社レボーンの取締役をしながら、長崎にご自身の会社を設立し、県内企業のDXの支援等も。

自由な校風の中で

――本日はありがとうございます。川下さんにはずっとお話を聞いてみたいと思っていたので、嬉しいです。

(川下さん・以下敬称略)こちらこそ、よろしくお願いします。

――ではまず、中高生時代のことを教えてください。

(川下)はい。まず生まれたのは東長崎で、実家は女の都にありました。中学校からバドミントンを初めて、西高でもバドミントン部に入りました。当時は1学年11クラス、約500人の生徒がいましたね。まだまだ自由な校風で、先生方もおおらかだったように思います。

――そうなんですね。今とは少し雰囲気が違う感じがします。

(川下)そうかもしれません。補習授業はありましたが、全員必須ではなく行きたいひとが行くような感じですね。私は行ってませんでした(笑) 長崎5高(東、西、南、北、北陽台)には学習合宿というのが各校あると思うんですが、西高は当時はやっていませんでしたね。

私は勉強というよりはバドミントンに打ち込んでいました。毎日10km走り込みをして、国体の強化選手に選ばれたりもしたので、部活は高校3年生の8月まで続けました。

筑波での学生生活

――毎日10km!すごいですね・・・。大学はどうやって選んだんでしょうか。

(川下)大学は1浪して筑波大学へ進みました。いとこが同じ筑波大学に通っていたこともあって、受験しました。筑波大学の情報学類と、後期の長崎大学薬学部、それから防衛大学にも合格していたんですが、これからはコンピューターの時代だろうと思って、筑波大学に進むことにしました。

――そうだったんですね。合格していた大学、それぞれどこに進むかで大きく人生が変わっていたような気がしますね。学生生活はどうでしたか?

(川下)学生時代は勉強よりもバイトを頑張った記憶があります。学費は両親に出してもらったのですが、仕送りは月に5万円だったので、まかない付きの近所のとんかつ屋で週4、5回。それと家庭教師のアルバイトもやりました。

夏休みも帰省せずにずっととんかつ屋でバイトをしてましたね。ある時なんかは土浦の花火大会に向けたテキ屋さんの打ち合わせがそのとんかつ屋であったりして・・・すごくよくしてもらったし、楽しかったです。常連のお客さんに「もうすぐ卒業してやめるんです」と言ったら「お前、学生だったのか!ここの社員じゃなかったのか?」なんて驚かれました。

――地元のお店でのアルバイトは、チェーン店でのバイトとはまた違った楽しさがありそうですね。学業の方はどうでしたか?

(川下)はい。コンピューターをしっかり学ぼうと思って入学したんですが、2年生ころから少し違和感を覚え始めたんです。自分はプログラムを作るよりも、コンピューターを使って何かビジネスをする方に興味があるな、と。それで3年生の研究室の選択で、森亮一先生の研究室に入りました。森先生は、超流通という、今でいうSaaSやブロックチェーンなどの先駆けとなるような概念を提唱されていた先生で、指導はとても厳しかったですね。あまり勉強もしていなかったんですが、卒業論文の際は、論文をわかりやすく書くこと、試問にすべて即答すること、を条件に卒業させてもらいました。

金融業界へ

――超流通。初めて聞いた言葉ですが、興味深いですね。では就職してからのことを教えてもらえますでしょうか。

(川下)就職は、新卒で野村證券に入りました。

島根県へ配属されて、県の西側を担当しました。人口が2.5万人くらいの市を3つ。法人・個人の両方を担当しました。

島根県は当時、閉鎖的で全国でも難易度の高いエリアと言われていました。人口も少ないですし、まずアポ取りが難しいんです。お客さんが会ってくれない。

名刺を1000枚刷ってもらって、100枚を社長に渡してもらい100回来たことにするとか。筆ペンで毎日手紙を書いたりとか、今では考えられないような方法も使って、ようやく会って話を聞いてもらえたような感じでした。

島根には4年間いたんですが、3年目から同期トップを何度か取るなど、自分でいうのもなんですがけっこう頑張りましたね。

ちょっとおもしろい話として、お客さんの中には島根の大地主の方もいました。ある時山の上に一緒に行って、「お前、どこがうちの土地かわかるか」と聞くんです。「わかりません」と言ったら、「ここから見えるところ全部だ。」と。その山には1本切ったらウン百万円になるという大木がたくさんあるんですね。「一体何本くらいあるんですか?」と聞いたら、「知らん。数えたことも無い。」と。そういった方にお会いできたのもよい経験でしたね。

島根の後、上野で2年勤務して、シティバンク銀行へ転職しました。

当時、金融ビッグバンと呼ばれる法改正で銀行も投資信託を販売できるようになったんですが、銀行には投資信託を販売するための人材がいなかったんですね。だから証券会社から積極的に人材調達をしていました。

シティバンクでは3年間、新宿支店で働き副支店長も経験しました。日本でも1,2番目に大きい支店だったと思います。ただ私の性格でしょうか、社内政治で上司に取り入る、、といったことがどうも性に合わず、自分の意見を主張していると、上司から「喧嘩を売っているのか」と勘違いされたこともありましたね。

ドワンゴの上場に携わる

そうこうしていると、今度はドワンゴに転職していた野村證券時代の先輩から声がかかりました。「上場の準備をするから、川下、お前、手伝いに来い。」と。当時の野村證券は上下関係が厳しくて、先輩の命令は絶対というか、お世話になっていたので、そう言われるとなかなか無碍には断れません(笑)

ドワンゴはもともとゲーム用のP2Pシステムがアメリカで流行り、それを日本に持ってきた会社でした。裏の技術まわりをドワンゴが担うということで、ゲーム会社から資金が集まりIPO準備に取り掛かることになったようです。

野村証券のつながりというのは特に金融系の業界ではけっこう強いものがあって、たとえばSBIの設立の際にも、野村出身者が多く関わったりしていました。

2000年11月に入社して、まず12月の株主総会の準備を担当しました。社内規定、社内制度の整備などまったくの素人だったのですが、なにせ担当が自分しかいません。もうその時は睡眠時間を2〜3時間までけずってやりましたね。取引のある銀行の人たちが色々と手伝ってくれたのですが、今でも付き合いのある、戦友のような存在です。

上場に向けて、ドワンゴが着メロなど携帯のコンテンツ系ビジネスを始めたのが2001年でした。

着メロの事業は、当時、粗利率が8割以上という信じられない事業でした。テレビCMにお金をかけて、つなぎ融資に奔走したり、何かと忙しかったですね。着メロ業界全体が大きく伸びていて、その多くをおさえることができていたので、成長の速度がすごかったんです。

この時の体験は、今の仕事の原点になっています。自分は事業の0→1よりも、1→100、大きく成長する分野に魅力を感じるんだな、と。それで今も、ワクワクすることを追い求めているんです。

――いろんなめぐり合わせがあってのキャリアなんですね。聞いているだけでワクワクします!

(川下)そうですね。情報系の勉強をしていたからドワンゴに行った。野村証券だから管理系、というわけでもないんです。仕事って、人と人とのつながりから舞い込んでくるんですよね。

ベンチャーっておもしろい!

――なんだか池井戸潤さんの小説や映画を見ているような気分です!その後のキャリアについても教えていただけますか?

(川下)はい。その後は縁あってニトリに数年いたり、またドワンゴに戻って、スマホへの転換期を迎えて縮小している着メロ事業の利益構造を変えるような手伝いをしたりしました。現在は東京で3社、長崎で3社に関わって仕事をしています。

中でも東京に事務所を構えるひとつのベンチャー企業に、労力の8割を注いでいます。長崎大学の研究者の方が開発している、AIを使って「匂いを可視化する」というサービスを手掛けるベンチャー企業です。

株式会社レボーン
https://www.revorn.co.jp/

まだ企業して5年目、アルバイトの方も含め30人程度のメンバーで、一戸建てを借りてそこをオフィスにしています。

――戸建てのオフィスとは珍しいですね!

(川下)その方がオフィスビルに入るより、家賃や諸費用が安いんです(笑)実はこの会社と知り合ったのも、西高の後輩からの紹介がきっかけでした。

最初の1年間は顧問という形で関わったのですが、いよいよ資金調達などが必要ということで、2021年夏に取締役として参画しました。企業向けにサービスを売り込む 商品開発や、品質管理、個人の顧客向けのサービスの開発などやるべきことは盛りだくさんですね。

独自に開発したセンサーの生産などのために、来年には5億円ほどを新たに資金調達する予定です。

――匂いの領域は、AI関連でも珍しいですね!おもしろそうです!

(川下)そうなんですよ!やっぱりベンチャービジネスは面白い。企業や人の成長段階に関わりたいという想いは、ドワンゴの上場の経験から来ているものかもしれません。社長はもともとロボット好きのちょっと変わった方です。ロボットには鼻がないから作らなきゃ、と思ったとのがこの事業を手がけようと思ったきっかけだそうです。最近話題のVRに匂いを取り入れたい、という需要などもあるので、期待しています。

自分の出番を増やそう

――私(55回生 本多)もいわゆるベンチャー企業で働いているので、その感覚はなんとなくわかるような気もします。バブル時代からのたくさんのお話、本当にありがとうございました。最後に、現役の西高生たちへのメッセージをお願いいたします。

(川下)そうですね・・・。自分の気持ちに正直に生きるということでしょうか。自分の好きなことにチャレンジしてほしいですね。

一生懸命何かをやっていると、「今が自分の出番かもしれない」という時があったりします。そういう自分の出番に気づいたときに、行動を起こしてみることは大事ですね。そうして知識やスキルを磨いていって、自分の出番を増やしたり、自分で自分の出番を作るようにやっていくと、仕事はどんどんおもしろくなるんじゃないかと思います。

親や先生の期待に無理に応え過ぎようとせず、自分の好きなことや楽しいことは大事にしてほしいです。多少なりとも保守的な雰囲気があるかもしれませんが、それにのまれないでほしいなと思います。

――「ここは自分の出番だ!」というときって、仕事に限らず学校生活でもありますよね。そういう時ってどうしても「失敗したくない」「恥をかきたくない」と思ってしまいますが、勇気を出して行動してみると、川下さんのようにいろんな素敵な人や事業にであるのかもしれません。匂いのベンチャー、近いうちに話題になりかもしれませんね。楽しみにしています!今日はありがとうございました!

(川下)こちらこそ、ありがとうございました!

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