三十而立。(三十にして立つ)(野田旬太郎さん 長崎西高61回生-2009年卒)

長崎西高の個性豊かなOBの方々をご紹介する【WOW! 】 へようこそ!編集部の本多です。今回は61回の野田旬太郎(のだ・しゅんたろう)さんにお話をうかがうことができました。 2021年1月現在、経営コンサルティング業を営む企業で働く野田さん。そこに至るまでの十代・二十代の道のりは、思考と挑戦の連続でした。

こんな人に読んでほしい!

・漠然と進路に悩んでいる人

・自分のやりたいことはこれだったかな…と現状に疑問を感じている人

野田旬太郎さんのプロフィール

61回生(2009年卒業)

出身中学:福田中学校

部活動:ラグビー部

入学した大学:九州大学工学部 機械航空工学科

職業:会社員(株式会社リヴァンプ 経営支援・コンサルティング業)

ラグビー漬けの高校生活

ーー(本多)野田さんはラグビー部だったそうですね。どんな高校生活でしたか?

(野田さん 以下敬称略)はい、ラグビー部ではキャプテンを務めさせてもらいました。自分の代は4人中3人はラグビー経験者だったのですが、1つ下の代は、7人全員が初心者。おまけに顧問の先生も未経験者です。練習メニューから何から、1から作り上げていくのが僕らの仕事。自分は理系だったので、申し訳ないんですが、世界史の時間が練習メニューを考える時間。先生に隠れて、どんな練習をしようか考えていました。1、2年生の間はほとんどラグビー漬け。勉強はあまりしていませんでしたね。

ーー(本多)ラグビー部のメンバーとの思い出はありますか。

(野田)そうですね、週末の練習の後はみんなで浜の町のオリンピックにみんなでパフェを食べに行ったり、部室でマンガを読んだり。梁川飯店にもよく行きましたね!部活の仲間とは今でも仲が良くて、同級生が二人東京にいるんですが、新居のお祝いに一緒に手巻き寿司パーティーをしたりもします。

ーー(本多)『これは大変だったなあ・・・』という出来事はありますか?

(野田)あります!自分がキャプテンになって最初の大会、後輩たちにとっては初めての公式戦で、何人もケガをしてしまって…。それまで初心者のみんなもやる気を出してくれていたんですが、ケガしたのがよほど嫌だったのか、それからあんまり練習に来なくなってしまいました…。その時はキャプテンシーを発揮できず、しばらくは少人数での練習や筋トレを繰り返す日々でしたね。

ーー(本多)人が集まらないのはきついですね…。その後はどうされたんですか?

(野田)なんとか少しずつ戻ってきてくれて、無事に3年生の高総体には出場できました。そこで一旦引退したのですが、秋の花園予選ではメンバーが足りなくて、一時的に練習に復帰して、そちらも出場しました。

東大を目指して大学受験

ーー(本多)では、大学受験について教えてください。

(野田)はい、前期試験では東京大学を受験しましたが、結果は不合格。後期試験で九州大学の工学部、 機械航空工学科 工学科に合格し、そのまま進学しました。

ーー(本多)九大の 機械航空。人気の学科ですよね。航空系を目指した理由はなんでしたか?

(野田)立花隆さんという方の著書で、『宇宙からの帰還』という本があるのですが、その影響が大きかったです。十二名の宇宙飛行士の方の体験談をまとめた本なのですが、それを読んでから宇宙に憧れを持ちました。宇宙から地球を見たら何を感じるんだろう?今自分が生きている世界を俯瞰したら、どんな風に見えるだろう?と。

当時の 機械航空工学科は2年次の夏に 航空宇宙工学コースと機械工学コースに振り分けられるのですが、無事に 航空宇宙工学コース へと進学することができました。ただ2年次の終わりに、休学するんですよね。

大学生活 休学して東大を再受験、そして復学へ

ーー(本多)休学されたんですね。何か動機があったんでしょうか?

(野田)はい、実は九州大学での暮らしに物足りなさを感じてしまって・・・。通っていたのは、新しく移転したばかりの伊都キャンパス。田園風景の中にぽつんと大学があるという環境です。工学を学んでいく中で、『これは結局効率化のための学問なのではないか、それで人は幸せになるんだろうか。』という気持ちが強くなってきていて。もっと人間や社会について勉強したいと考えるようになりました。それで親に相談して頭を下げて、東大を再受験することを決めました。

ーー(本多)それはかなり大きな決断でしたね。

(野田)そうですね、わがままを受け入れてくれた親には感謝しています。自分としては退学して再受験するつもりでいたのですが、『籍は残しておいたら』と言ってくれたのも親だったので。勉強に集中するために、福岡で家賃3万円くらいのアパートに住みました。予備校にも通ったのですが、大学で2年間やってきた自分にはあの詰め込みスタイルが合わなくて、結局1カ月ほどでやめて、後の期間は独学です。受験したのは東大の理科三類。人や社会について知るために、脳科学をやりたいと思っていました。模試では二度A判定も出ていたし、センター試験の結果も867点と好結果。これは行けるかな、と思っていたのですが、本番では実力を出し切れず、結局不合格でした。

ーー(本多)それは、悔しいですね。。それからは九州大学に復学したのですか?

(野田)復学して、そのまま卒業しました。大学院は、京都大学の 総合生存学館に進みました。

大学院 京都での暮らしと、ビジネスへの興味

ーー(本多)京都大学へ!また独特な選択ですね。どういう理由で選んだのでしょうか?

(野田)やっぱり人や社会への興味からですね。専攻は社会情報学だったのですが、京都大学の総合生存学館は社会のトップリーダーとの少人数セミナーや、京都という立地を活かした茶道・華道などの日本芸術体験、JICAと連携したバングラデシュでのプログラムなど、 幅広い視野での講義や研究が多かったので。

でも友達も一人もいない京都での一人暮らし。せっかく京都に来たから観光もしたいのに、一緒に行く友達がいない…。それを解決するために、社会人サークルのようなものを立ち上げました。京都や大阪は、転勤や進学などで来たけど友達がいなくて困っている…という僕と同じ境遇の方がたくさんいます。この活動がけっこう楽しくて、事業、ビジネスへの興味が強くなっていきました。

社会人生活のスタート! そして起業へ…

ーー (本多) なるほど、京都での経験がこの後のキャリアにつながっていくんですね。

(野田) そうですね。やっぱり人間や社会のことを知りたい。学問の世界も面白いけれど、実地で、ビジネスの現場でも見てみたい、そういう想いが強くなっていきました。それで3年次(博士1年相当)で大学院を辞め、アクセンチュアに就職しました。

ーー (本多) 就職してみてどうでしたか?

(野田) 働いて、人の役に立って、お金がもらえて、暮らしていける。その充実感がありましたね。やはり自分は研究者よりも事業を起こしたり、考えたり、ビジネスの世界が好きなんだと感じました。2年間働いた後、やるなら今しかないと思い、起業することにしました。

ーー (本多) ここでも思い切った選択をされたんですね!どんな事業をやっていたのでしょうか?

(野田) いろいろやりたいことはあったのですが、根本は京都での経験がありました。地域に新しく来た人がなじめるようなコミュニティ作りというか。どこに行っても、一緒にご飯を食べれる仲間が見つかる、そんなサービスをやりたいと思いました。ただこれは立ち上げに時間がかかると思ったので、まずは他で成功している事業を、と思い、『西表島ツアーズ』などをやっている企業のフランチャイズのような形で、『長崎ツアーズ』の運営を始めました。

ーー (本多) 事業をやってみていかがでしたか…?

(野田) なかなかうまく行かなかったですね…。やはりすぐにお金にならない焦りがありました。とにかく日銭を稼ごうと、前職でやっていたITコンサルティング業をやってみたり。そうするとそちらが忙しくなって、なかなかやりたい事業に割く時間がなくなっていく。そういう悪循環でしたね。

結局1年ぐらいで資金も尽きてきて、フリーランスという形で前職のアクセンチュアの手伝いをやることになりました。それも1年くらいつづけたんですが、やはり企業の経営支援に携わりたいと思い、長崎ツアーズの事業も譲渡して、リヴァンプへ就職しました。

再び、会社員へ

ーー (本多) 起業してみて何か気付きなどはありましたか?

(野田) やはり世の中のうまく回っているビジネスは、よくできているんだなと実感しました。一人が1時間働いたら1万円産まれるとか、そういう風になっている。自分が考えた事業は、1時間働いてせいぜい数百円といったところでしたね。

今やっている仕事は包括的な経営支援です。ファンドが投資した会社に経営者を引っ張ってきて、現場との間をとりなすというか、そんな感じの仕事ですね。プロ経営者を育てていこうみたいな思想を持っている会社です。 自分も、いざ事業を任されたときに育てていけるような力を蓄えたい。そんな風に思っています。

学術、会社員、起業、そしてまた会社員。3つの世界を経験し、30歳になった今思うこと。

(野田) もともと、20代は色々な経験をしようと思っていました。逆に30代は腰を据えて一つのことを掘り下げていく。研究の仕事、経営者としての仕事、ビジネスを支援するという仕事。 3つを自分の体でしっかり経験してきたからこそ、悩まずに今やっている仕事をしっかり突き詰めていきたいと思えるようになったと思います。30代は専門性を高めていく10年にできればいいですね。

現役西高生へのメッセージ

ーー (本多) 最後に、現役の西高生へ向けたメッセージがあればお願いします!

(野田) いろんなことを経験して欲しいと思います。特に10代、20代。その時に自分がどう感じたかを大事にしてほしいですね。周りがどう言うからとか、普通に考えたらこっちが主流だから、とかじゃなくて、やってみて自分がどう思ったか、好きかどうかを大事にしてほしい。

高校受験や大学受験では、そこまで悩むこと少ないと思うのですが、就職、転職、というタイミングになった時に、ふと『何がしたいんだっけ? 』 と分からなくなる時が来ると思います。そう感じたときに立ち戻れる経験、『あー、そういえば、あれをやっていた時は楽しかったなあ』という経験を増やしてほしいなと思います。

ーー(本多)
『自分の好きなことは何か』仕事に対しての選択肢もどんどん広がるこれからの時代に、本当に大切な視点になってくると思います。本日はありがとうございました!

(野田)ありがとうございました。

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