今この瞬間を、思いきり(坂井さくらさん 長崎西高64回生-2012年卒)

今回は、助産師として働きながら子育てをしている、64回生の坂井さくらさんにお話を聞かせていただきました。

長崎大学を卒業後、就職で東京へ来たという坂井さん。
高校時代のことから、上京する決断をした理由など、色々と教えてくれました。

こんな方に読んでほしい

・高校生の間は部活を全力で頑張りたい!という方

・将来やりたいことが見つからない!という方

・進学や就職、都会と地元で迷っているという方

坂井(旧姓:上片)さくらさんのプロフィール

出身中学:長崎大学教育学部附属中学校

部活動:バスケ部

進学先:長崎大学

現在のお仕事:助産師(都内のクリニックに勤務)

部活がメインの高校時代

ーー(本多)さくらさん、はじめまして!本日はよろしくお願いいたします。

(坂井さん 以下敬称略)よろしくお願いします。

ーー(本多)紹介してくれた64回生の樋口さんとは、中学校も同じ附属中だったんですね!

(坂井)はい、中3で同じクラスで、高3でも同じクラスでしたね。

ーー(本多)樋口さんから64回生の方をたくさん紹介していただいたのですが、みなさんそれぞれ個性的なキャリアを歩んでいて、インタビューがとても楽しかったです。まずは、西高に入学するまでと、高校生活のことを教えてください。

(坂井)はい。附属中ではバスケ部に入っていて、西高でもバスケをしたい!と思って入学しました。バスケ部は当時強くて、練習も大変でしたね。土日も休まず練習か試合がある、という感じでした。

ーー(本多)西高のバスケ、強いですよね!卒業生にはプロで活躍されている田中大貴さんもいますね。

(坂井)はい、2学年上の先輩です。女子も私が在学中にインターハイやウィンターカップに出場することができました。部活はとても忙しくて、朝練もあったし、放課後の練習もきつかったですね。なので授業中はほとんど寝ていて…とにかく必死に生きていた感じがします(笑)

同じ64回生の末さんとは高1で同じクラスだったのですが、彼女もラグビーを頑張っていて、授業中は私と並んでトップ2といいう感じで、よく怒られていました。

ーー(本多)末さんからは、課題がとても大変だったと聞きました。

(坂井)課題は量が多くて大変でしたね。夏休みなどの長期休みには特にたくさん課題が出たんですが、バスケ部の遠征などもあってこなすのが大変でした。同じバスケ部の成績の良い友達に教えてもらったりしながら、なんとかやっていました。部活動を引退するまでは成績はもう、下から数えた方が早いぐらいでしたね。

部活の仲間は今でも仲がよくて、お互いの結婚式に呼んだり、よく会います。今度もまた合う予定を立てているところです。

ーー(本多)部活の仲間は、やっぱり一生の付き合いになることがおおいですよね。僕も今でも一番仲がいいのはサッカー部の同期たちです。振り返ってみて、高校生活は全体としてどうでしたか?

(坂井)部活の練習は辛かったし、勉強も大変だったけど、振り返ってみると楽しかったですね。特に部活の同期とは仲が良かったので、練習のあとココウォークに行って遊んだりしたことを覚えています。行くのは、大体マクドナルドか丸亀製麺(笑)毎日必死だったけど、楽しかったです。

助産師を目指して、長崎大学へ

ーー(本多)僕がいたサッカー部はバスケ部ほど厳しくはなかったかもしれませんが、なんとなくわかるような気がします。ココウォークは僕の頃にはまだ無かったから、うらやましいなあ(笑)
では、大学受験のことを教えてください。

(坂井)はい。部活を引退してから受験モードに切り替えたのですが、案外それでもなんとかなりました。多分高3の後半には成績も学年の真ん中ぐらいだったんじゃないかな?
たとえばセンター試験の世界史は、部活引退直後の模試では20点ぐらいだったのが、本番では90点を超えることができました。
引退してからでもなんとかなったのは、部活もやりながら必死に課題に食らいついていたおかげかもしれません。

ーー(本多)志望校はどうやって決めたんでしょうか?

(坂井)小さい頃から看護師にはなりたいなと思っていて、長崎も出てみたいと思っていたので、前期は九州大学を受験しました。
九州大学には落ちてしまったのですが、浪人は考えていなかったので、後期で受験した長崎大学へ進学しました。

ーー(本多)助産師は、看護系の中でもまた特殊な職業ですが、助産師を目指したのには何かきっかけがあったんでしょうか?

(坂井)はい。大学の講義で産科の授業があるのですが、その講義が面白くて、なぜかその講義だけは自分が前のめりになって学べているのを感じたんです。大学で仲のよかった友人が助産師を目指していて、そこではじめて助産師という職業を知りました。
(参考:助産師ってどんな仕事?

それで助産師について学ぶ講義を受けてみて、「よし、助産師になろう」と決めました。
長崎大学の大学院にそのまま進学して、助産師の資格を取りました。

ーー(本多)そうなんですね。助産師になるには、どんなルートがあるんでしょうか?

(坂井)最近では、学部で4年間学んだあと、大学院で助産師の資格を取るのが一般的だと思います。学部の4年間で助産師資格まで取得できるところもありますが、減ってきていますね。その他に、4年で大学を卒業したあと、1年間専門学校に通うという方法もあります。

助産師は一度社会人を経験されてからなる方も多くて、自身が出産を経験して助産師になりたいと思った、という方もいますね。

今しかない!就職は東京へ

ーー(本多)なるほど、ありがとうございます。就職で上京されたということですが、どういった考えがあったんでしょうか?

(坂井)大学受験の時からそうだったんですが、一度は長崎を出てみたいという思いがあって。そうなると、就職が最後のチャンスかもしれないと思ったんです。福岡でも探してみたのですが、助産師の募集がそれほど多くなくて、それなら思い切って東京に出ちゃおうかな、と。

やっぱり学会や勉強会なども東京近辺での開催が多く、助産師として勉強できる機会が多いというのもありました。

あと私は早く結婚したいと思っていたのですが、こんなことをいうのもなんですけど「長崎には、相手がいないな」と大学生の時に感じてしまって…夫と出会ったのは上京して数ヶ月後です(笑)

ーー(本多)数ヶ月でというのはすごいですね(笑)たしかに専門職としてのキャリアを考えると、学びの機会が多いのは東京のいいところかもしれません。

助産師としてのキャリア

ーー(本多)では、就職してからのことを教えてください!

(坂井)はい。最初に就職した病院では3年間働きました。その間に結婚と出産をして、育休中に引っ越しをすることになって。病院から離れたところに引っ越すことになったので、育休中に就職活動をして、これから都内の産婦人科のクリニックで働きます。

助産師の仕事は地方だと二極化しているイメージです。出産にあたってのリスクの低い方はクリニックで、リスクのある方は大学病院で、と自然と棲み分けがされているので、どちらに勤めると、どちらかのお産のことしか学べません。

東京などの都市圏になると、どちらも扱うようなクリニックや病院が増えてきます。私は助産師として、一般的な出産と、リスクのある出産、どちらも学んでみたかったので、東京を選びました。

あとは大学病院などの大きい病院だと、助産師資格を持っていても必ずしも産科に配属されるとは限りません。長崎大学の同期が3人、長大病院に勤務しているのですが、一人は産科、一人はNICUに配属になっています。

ーー(本多)看護師や助産師も、どういった地域や職場を選ぶかで、働き方が大きく違うんですね、ありがとうございます。

今を目一杯楽しんで

ーー(本多)最後に、現役の西高生たちに何かメッセージがあればお願いします!

(坂井)はい。振り返ってみると、自分は高校でも大学でもその時を楽しんでいたな、と感じますし、それでよかったなと思っています。
私が大学で助産師という職業を知ったように、もし今現在やりたいことがなくても、目の前のことを一生懸命やっていれば、そのうち見つかることもあります。
だから、
今を目一杯楽しんでほしいです。

あんまり後先考えなくても、頑張っていればどうにかなるものです。たとえば勉強ひとつとっても、部活を引退してからでも全然挽回できます。
それで嫌なことといえば先生から怒られるぐらいですかね(笑)

ーー(本多)先生に怒られるのはやっぱり怖いですけどね(笑)本日はありがとうございました!

(坂井)ありがとうございました!

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