2026年3⽉20⽇、私たちの⺟校愛を⼤いに盛り上げてくれた「第98回選抜⾼等学校野球⼤会」。1951年春以来75年ぶり2回⽬、また1981年夏「ノーヒットノーラン」 以来となる快挙に、在校⽣・OB・関係者の想いが⼀つになった特別な⼀⽇でした。
多くの⼈々が⺟校の躍進を⽀えましたが、その中心の⼀⼈が55回⽣の⾚⽊幸仁さんです。選⼿が最⼤限の⼒を発揮できるよう、広報や⽀援活動に尽⼒。 その姿は、多くの⼈の⼼を動かし、想いを⼀つにする⼤きな原動⼒となりました。
⻑崎県議会議員として、そして起業家として活躍する⾚⽊さん。 その根底にあるのは「⻑崎を誇りに思う気持ち」です。ここでは、これまでの歩みをご紹介します。
■こんな人に読んでほしい ・政治家ってどんな仕事? ・起業、会社経営に興味がある ・長崎の魅力発掘と発信方法を知りたい
55回生 赤木幸仁さんのプロフィール ・出身中学:三重中学校 ・大学:東京学芸大学教育学部カウンセリング専攻 ・職業:長崎県議会議員、株式会社長崎百景 代表取締役
野球部の仲間と過ごした西高時代。ホストファミリーの経験が長崎の魅力に気づくきっかけに
赤木さんが長崎西高に入学したのは2000年。小学校ではサッカー、中学校ではバスケットボールに打ち込んでおり、 西高でもバスケ部を考えていました。 しかし当時から強豪として知られる環境に少し気後れし、部活動には所属しませんでした。その分、クラスメイトとの時間を大切にし、とくに野球部の仲間たちと過ごした日々は強く印象に残っているそうです。勉強よりも日々の楽しさを優先するあまり、「全学年約400人中390番台の成績」という時期もあったとか。しかし、その時間の中で得た仲間とのつながりや経験が、今の活動の土台となっています。
また、高校時代に大きな影響を 受けたのが 「ホストファミリー」としての経験です。父は県職員、母は英語講師という家庭環境の中で、国際交流の機会に恵まれ、多くの外国の方を自宅に迎え入れてきました。外国の方と一緒に長崎の街を歩くことで、見慣れた風景が新鮮に映り、自分たちが当たり前に思っていたものの価値に気づいたといいます。この体験が、後に「長崎の魅力を発信したい」という想いにつながっていきました。
心理学を学ぶため、東京へ。「人を楽しませる」企画力を育てる
西高時代の成績は底辺をさまよった時期がありつつも、受験時期には ⻄⾼時代の成績は底辺をさまよった時期がありつつも、受験時期にはしっかり挽回し、東京学芸⼤学へ進学。中学時代、友⼈関係に悩んだ経験から⼼理学に興味を持ち、多様な⼼理学教員が最も多いというのが、⼤学を選んだ理由でした。⼼理学を通し⼈の⼼に向き合う中で 「⽬の前の⼈を⽀えること」だけでなく、「1人でも多くの⼈が幸せで苦しまない社会をつくること」への関⼼が⾼まり、やがて政治へと視野が広がっていきます。
⼤学時代にもう⼀つ⼒を⼊れていたのが、サークル活動です。 バレーやソフトボール、バスケットボールなどのイベントを企画するオールラウンドサークルで、 ⼈を楽しませる企画づくりに没頭しました。この経験が、⾚⽊さんの優れた「企画⼒」を育てていきます。
卒業後、⼤学の同級⽣は9割が教員となった中、⾚⽊さんは持ち前の「企画⼒」を磨くべく、ベンチャー企業へ⼊社しました。成果がそのまま評価につながる環 境で⾃分を鍛え、ビジネスの厳しさと⾯⽩さを体感します。多くの収⼊も⼿にしたそうですが、「お⾦だけではない」と⼀歩⽴ち⽌まる瞬間もあり、ある程度やり切った時点で、転職。次の活躍の舞台として選んだのは独⽴⾏政法⼈ 労働者健康福祉機構。ここでは病院経営を経験しました。⼈事や医療保険制度など医療現場 特有の課題に向き合う中で、社会の仕組みをより良くしたいという想いをさらに強めていきます。
政治塾への参加も、この時期の⼤きな転機となりました。また⻑崎を離れて過ごした⽇々は、⻑崎の魅⼒を外から感じる機会にもなったそうです。29歳のとき、⽗の死をきっかけに⻑崎へ戻る決断をします。⻑男としての責任、そして外から⾒て気づいた⻑崎の魅⼒。その両⽅が重なり、「地元のために何かをしたい」 という想いが⼀層強くなりました。
長崎の魅力を発信するべく「政治」の世界へ。起業家としての才能も開花
⻑崎へ戻って間もない2015年、30歳で⻑崎県議会議員選挙に初挑戦しますが、このときは落選。選挙活動でこれまでの貯⾦を使い果たし、「貯⾦なし、独⾝、し かも無職」となってしまいました。しかし、最初のチャレンジだったことや、若さもあってすぐに次の⾏動へ踏み出します。
⻑崎⻘年協会に所属し、⻑崎の魅⼒を発信するイベントをプロデュース。⼤⼿出版社にアイデアを持ち込み、ランタンフェスティバルと⼈気アニメとのコラボ企 画を実現するなど、多くの仲間と共に 新しい視点で地域の価値を発信しました。またこの時期に結婚、⽗親になるという⼈⽣の転機も迎えます。 前回の落選から4年後の2019年、再び⻑崎県議会議員選挙へ⽴候補し、⾒事当選。
前回の選挙から⼤きな成⻑を遂げた⾚⽊さんの周囲には多くの仲間、そして隣 には奥様がいました。
ちょうどその頃は、コロナで世界が⼀気に不安に陥った時期と重なります。⾚⽊さんは「情報発信」の重要性にいち早く着⽬し、SNSを活⽤して県⺠に向けた発 信を続けました。1日100件、10日で1000件コメントを返し続け、その後も寄せられた声すべてに目を通し、応え続けたといいます。
「県⺠の声を最も聴いた」という実感は、⼤きな⾃信と責任感へとつながりました。その思いから、県議を辞職し2023年38歳で⻑崎市⻑選挙へ⽴候補。無所 属・組織に頼らない姿勢でのチャレンジでした。結果は及ばなかったものの、多くの組織から推薦を受けた候補者に対し、SNSを通じて100もの政策を発信した ⾚⽊さんは若年層の関⼼を引き付け、⾁薄した戦いを繰り広げました。また、組織や資⾦⼒などの背景をもたない候補者の躍進は、⼤きな存在感を⽰しまし た。
その姿は、2026年センバツ甲⼦園で私たちが⽬にした⻑崎⻄⾼野球部の姿にオーバーラップします。甲⼦園強豪校に対し、練習量も設備も劣る公⽴の⻑崎⻄⾼ が互⾓の戦いをした姿は、多くの感動と勇気を与えてくれました。
「政治」は手段。 「人が苦しまない社会をつくる」という想いこそが原点
2度⽬の落選を経験した⾚⽊さんですが、この2度⽬の落選の際は、⾚⽊さんの周囲にさらに多くの仲間が集まっていました。
その後、株式会社⻑崎百景を設⽴し、活動を発展させます。県庁舎跡地での熱気球フライトや野母崎でコスモス畑づくりなど、ユニークな発想で⻑崎の魅⼒を発信。政治家としてだけでなく、起業家として社会に新しい価値を⽣み出し続けています。「政治家」にこだわらず起業家として社会を動かす道もあると思えますが、⾚⽊さんにとって「政治」はあくまで⼿段。政治というツールを有効に使いながら、⼈々の⽣活を豊かにしていく、「⼈が苦しまない社会をつ くる」という気持ちは今も揺るぐことはありません。
2026年2⽉には再び⻑崎県議会議員に当選。「⻑崎から『できない』をなくしたい」と、政治とビジネスの両⾯から地域に貢献しています。
現在は3児の⽗として⼦育てにも向き合いながら、⽣活者の視点を⼤切にした活動を続けています。また、2027年の⻑崎⻄⾼同窓会では幹事を務める予定で、1年以上前から動き出し、びっくりするようなイベントを着々と準備している模様です。OB、在校⽣が⺟校を誇りと感じ、さらに⻑崎への想いが深まる発信⼒に 今後も期待が⾼まります。



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