次は、何しよっかな?(中村翔平さん 長崎西高55回生-2003年卒)

長崎西高の個性豊かなOBの方々をご紹介する【WOW! 】 へようこそ!編集部の本多です。今回は55回の中村翔平(なかむら・しょうへい)さんにお話をうかがうことができました。 2021年5月現在、大手広告代理店で働く中村さん。広告代理店といえば、芸能界やスポーツ業界とのつながりも深く華やかな業界というイメージがありますが、実際のところはどうなんでしょう。私と同学年ということもあり、ざっくばらんに、いろんなことを教えていただきました。

こんな人に読んでほしい

広告代理店、広告業界に興味がある

・将来は絶対に東京や大阪、福岡などの都会に行きたい!と思っている

・部活動を辞めた、もしくはやっていないことに少しコンプレックスを感じる

スポーツやエンタメが好きだけど、進路や就職を迷っている

中村翔平さんのプロフィール

出身中学:東長崎中学校

部活動:野球部(1年生の秋に退部)

その他の活動:学外で少林寺拳法

入学した大学:一橋大学法学部

現在の職業:会社員(大手広告代理店)

ーー(本多)お久しぶりです。まずは西高へ入学するまでのことを教えてください!

(中村)久しぶりだね。はい、東長崎中学校では、野球部でキャプテンをやっていました。リリーフピッチャーで、県大会で優勝したときは胴上げ投手にもなったりして。自分で言うのもなんだけど勉強もスポーツもなんでもできた。将来のことを考えて、進路の幅が広そうな西高を選びました。

初めての挫折は、野球部で

ーー(本多)県大会で優勝!それはすごいですね。

(中村)いやいや、まあでも推薦で西高に入ったんだけど、それからが大変でした。当時西高の野球部は選手集めに力を入れていて、県内から推薦で上手いやつがいっぱい来ていた。中学生の頃は自分がけっこう野球が上手いと思っていたけれど、西高の野球部には、同学年に自分より上手いやつが明らかに10人以上いた。これが自分にとってはけっこうきつかったっですね。

自分が周りに比べて劣っている、できないという状況が初めてで、それが辛かった。親に泣いて頼んで、野球部を辞めることを認めてもらいました。ただ、夏休みのきつい練習が嫌で辞めたとは思われたくなった。だから、夏休みが終わったあと、高校1年生の2学期が始まる頃に野球部を辞めました。

ーー(本多)結構大きな決断でしたね。

(中村)そうですね。そして辞めた後がまた辛くて。同じクラスに野球部のやつがもう一人いたんだけど、 そいつとはその後ギクシャクすることが多かったです 。成績も学年で10番くらいだったのが、野球部を辞めてからむしろどんどん下がってしまって。本当に色々うまくいかなかったですね。大げさかもしれませんが、野球部を辞めた後の3ヶ月くらいの間の記憶が本当にないんです。

それで、このままじゃ人生がやばい!何か目標を見つけなくては!と思い立って、毎日夢彩都の紀伊國屋書店に通って、いろんなノウハウ本や自己啓発本を読みまくりました。そこである本を読んで、まず「東京の大学を目指そう」と決めたんです。

ーー(本多)高1ではっきり目標を決めたんですね、すごいです。

(中村)いやいや。でも勉強の他にもなにか見つけたいと思って、小学校のときにやっていた少林寺拳法を再開しようと思ったんです。当時教えてくれていた先生に、「自分を変えたいんです。」と手紙を書いて、紹介してもらった道場に通いました。少林寺拳法はかなり本気で取り組んで、全国大会にも出場しました。まあ高校生の出場者がそもそも県全体で13人しかいなかったんですが(笑)全国大会では、全然。やっぱり慶應とか、報徳学園とか、有名な学校が強かったです。

ーー(本多)自分からそうやって行動を起こせる人はなかなかいないですよね。他に高校生活で印象に残っていることはありますか?

(中村)生徒会長をやったことですかね。いろんな事情があって先生が「やってみないか」と声をかけてくれて。前の生徒会長が人気者だったんで、気が引けましたけど(笑)。自分なりに考えて、会報誌にその人気者の前任者兄弟の対談を載せたりしました。高校生の時点で大人と対等に話をできる経験ができたのはよかったなと思います。声をかけてくれたのが野球部の藤原先生だったのも嬉しかったです。

ーー(本多)生徒会長、やってましたね!志望校を決めた理由など、大学受験の時のことを教えてください。

(中村)進路に関しては本当に、逆風の3年間でしたね。三者面談のたびに揉めました。スポーツが好きだったので、はじめは筑波大学の体育学部に行きたいと思っていました。部活を辞めてからは、東京の大学、どうせいくなら東京大学をと思って、現役の東大生が教えてくれる通信教育を始めました。文化一類。深い理由はないのですが、弁護士を目指そうと。通信教育の先生は「受かるよ。」と言ってくれていたのですが、西高の先生たちからは反対されましたね。唯一、日本史の川原先生だけが応援してくれました。三者面談のたびに先生からは「九州大学にしないか」と。。両親も同じく、「トンビが鷹を生むわけないんだから。」みたいなリアクションでした。

最終的には両親も東京行きを応援してくれたのですが、先生たちからあまりいい反応がなかったのは辛かったですね。 センター試験はうまく行って 、センター利用で早慶は合格。前期で受けた一橋も試験が始まってすぐ、合格を確信できるぐらいできました。

ーー(本多)すごい!目指していた東大を受験しなかったのには何か理由があるんですか?

(中村)それは、あります。春休みのオープンキャンパスで東大の本郷キャンパスを見に行ったのですが、率直に言って都会にビビってしまいましたね。ここで生活していける気がしなかったというか…。一橋大学は国立(くにたち)という駅にあって、そこも見に行ったのですが、すごくちょうどいいと思いました。オープンキャンパスもすごくきれいなお姉さんが親切に案内してくれて…。しかもこれは本当に偶然なんですが、帰りに国立の駅で当時好きだった女優さんに会ったんです!

帰ってから偏差値を調べてみると、東大の文科一類が74、一橋大学は72だったので、ほとんど遜色ない。当時はほとんど偏差値という基準しか持っていなかったので、一橋大学もいいじゃないかと思って、高3から志望校を変更しました。

とにかくなんでもやった!東京での大学生活

ーー(本多)オープンキャンパス、やっぱり実際に行ってみるのは大切ですね。大学生活はどうでしたか?

そもそも東京を目指した理由が、やっぱり日本で一番の場所に行きたいという思いからでした。一番のところに行かないとわからないことがある。行かないときっと一生劣等感を感じてしまうと。だから大学に入ってからも、やりたいことはとにかくなんでもやろうと思いました。一橋大学は勉強をしっかりやってきた真面目な学生が多いので、変な話ですが、目立てる(笑)。いろんなことに手を出しましたし、会いたい!と思った人にはすぐに会いにいきました。寮に入ったことも大きかったと思います。いろんなバックグラウンドのある同級生や先輩と、深く話すことができました。

ーー(本多)すごい行動力ですね。どんな活動をしていたんでしょうか?

スポーツが好きと言いまくってたら、東南アジアの子供たちに野球を教えるボランティアをやろうとしている他大生に会いました。彼がフィリピンで野球教室をやるという企画をやっていて。それでフィリピンとインドネシアに行って、現地の子供達に野球を教えました。これがめっちゃ楽しかった。スポーツを通して、東京の人たち、世界の人たちと交流できるんだと。フィリピンと日本の違いは、長崎と東京の比じゃないぐらい違うのに、スポーツを通して仲良くなることができました。スポーツはずっと好きだったし、法学部にいるから、スポーツ代理人を仕事にするのはいいかも、とその時に思ったんです。日本だとスポーツ代理人は弁護士しかなれないので、弁護士になる勉強をしてみようと思いました。

ーー(本多)スポーツ代理人!いわゆる弁護士のイメージとは違いますが、そんな道があるんですね。

そう。それでその後弁護士事務所でもアルバイトしたんですが、これが、すごい違うなあ、と感じてしまって。あらためてスポーツのどこが好きなんだろう?と考え直すと、やっぱりそのエンターテイメント性、熱くなれるところだなと思いました。代理人の仕事は自分のやりたい仕事ではないかもしれないと思い直したんです。

ーー(本多)やってみて確かめる、大事なことですね。その後はどうしたんですか?

一橋大学の商学部に、スポーツビジネスを教えている先生を見つけました。本来は3年生からのところ、頼み込んで2年生でその先生のゼミに入れてもらいました。そのゼミで、 一橋大学のラクロス部の観客動員増加プロジェクトをやりました 。企業を回って協賛を集めたり。部活動の写真展を開いたり。学校では寝てるあいつも部活やっているときはかっこいい。というのはいい発見でしたね。その活動を通して、部活動の試合に人が集まるようになりました。

それで、スポーツビジネス、楽しそうだぞと。せっかく東京まで出てきたんだから、スポーツビジネスの本場へ行きたいと思うようになり、今度はマイアミへ留学しました。マイアミはアメリカの四大スポーツ(アメフト、バスケ、野球、アイスホッケー)のチームが全部あります。4つすべてが揃っているのは、アメリカでも6都市だけ。スポーツビジネスの学部がある大学があって、学ぶには絶好の街です。さらに、マイアミのスポーツチームは、 大学の紹介であればインターンで採用されるのが難しくなかったんです 。そこで野球の、マイアミマーリンズでインターンをしました。つたない英語で、PDA(電子手帳)を片手に観客にインタビューをする仕事。

ーー(本多)マイアミにアイスホッケーもあるとは!意外な感じがします。

それもちゃんと理由があって。アイスホッケーは高年収層の人たちに人気があるスポーツなんですが、マイアミは、その高年収層がリタイアしてやってくる土地。だからアイスホッケーリンクがある。留学費用を出してくれたおばあちゃんには本当に感謝しています。

スポーツビジネスの仕事をしたくて、広告代理店へ

ーー(本多)すごいフットワークの軽さですね!留学後はどうしたんでしょうか?

留学から帰ってきて、やはりスポーツビジネスの仕事をしようと思いました。だから、プロスポーツと関わりの深い広告代理店を選びました。今もスポーツに絡む仕事を出来ていることが嬉しいですね。営業、プランナー、デジタル担当など、広告代理店と一口に言っても中にはいろんな職種があります。スポーツビジネスにいろんな関わり方ができるのも、広告代理店の魅力です。

ーー(本多)留学の体験がそんな風に仕事につながるんですね。広告代理店と言う業種、一度は聞いたことがある人も多いとは思いますが、いまいち何をやっているのかよくわからないという人も多いようです。どんなお仕事なのか、教えてもらえませんか?

(中村)広告代理店出身、という肩書で世の中に知られている人は、めちゃくちゃ実績を残したすごい人か、あるいはその逆であまり合わなかったという人ばかりです。実際に中で働いているのは、そのどちらでもない人たちです。

営業やプランナーなど、いろんな職種があるのですが、私は今はデジタル広告を担当しています。クライアントとなる企業さんから広告予算を預かって、その広告予算でいくら売りたい、というニーズがある。認知段階から購入まで、Google、Yahoo、インスタグラム、ツイッターなどなど、様々なデジタル媒体を使って、どう組み合わせていくかということを考えています。どの媒体に、どんな広告を作ってだすのか?データの取得はどうやったら?見ているのはどんな人?そういったことを分析して仮説を出します。最近ではデジタル決済が台頭してきて、商品を認知してから購入するまでのデジタル上での行動把握が鮮明にできるようになってきています。それがわかるような設計をすると、次の企画へつながっていきます。

日本でも広告予算は、テレビ<デジタルになりました。広告代理店の仕事は、ひと昔前のテレビ業界とのつながりのイメージはもちろんまだありますが、それはほんの一部ですね。

今はマネージャーという立場なので、仕事のやり方変わってきましたた。自分で広告のアイデアを出すよりも、自分のチームがどうやったらうまく行くかを考える。それが面白いと感じています。

人生には、高校生の頃に想像もしなかった彩りがある

ーー(本多)なるほど。広告代理店は世間のイメージとのギャップが大きい業界かもしれませんね。最後に、高校生の頃の自分や、現役の高校生たちに向けて、何かメッセージをいただけますか?

(中村)そうですね。人生には、高校生の頃の自分が想像もしなかったような彩りがあると思います。サッカー日本代表の試合を生で見るということすら、想像できなかった。東京ではそういうことが簡単にできるから、東京の人たちはずるいな!と思いました。そういうことに興味があるなら、飛び出したほうがいいと思います。

自分はいろんなことに興味を持つタイプで、広く浅く、が一貫しています。やりたいと思ったら飛び込んで見る。

東京で出会った奥さんとも、同じ価値観を共有できているように思います。次は何しようかな?それを一緒に楽しめています。

野球部を辞めたことだけが、今でも夢に見ます。マネージャーでも補欠でもいいから、辞めてなかったらどうだったろうかと…。それまでは何かを辞めることはよくないことだと思っていました。でも、自分がその立場になった。今は諦めることも一つの選択肢だと思います。諦めたなりの面白いことが待っていたし、今の自分の人生につながってきました。

田舎からでてきて、こんなすごい仕事ができた!ということが2つあるので、紹介しておきます。

1.日米野球の担当ができた

1996年の日米野球を福岡ドームに見に行ってから、メジャーのスーパースターにずっと憧れていました。その日米野球の担当ができたのは嬉しかったです。

2.キングオブコントの仕事ができた

出演者にたくさんお会いすることができました。お笑いも大好きだったのでこれも嬉しかったです。ロバートさん、インパルスさん、バイキングさん、などなど、芸人さんと直接原稿のやり取りをしていたときは、たまらん!と思いましたね。

ただ、チャレンジをし続けている人たちみんなが、スーパーマンというわけじゃないと思います。僕は一時期仕事がつらすぎて、弟の結婚式で帰省したとき、帰りの長崎空港で家族の前で泣いてしまったことも…。

今現在想像している未来が幸せとは限らない、そう思って挑戦することを楽しんでほしいなと思います。

【編集後記(55回生 本多)】

僕から見た中村君は、高校生の頃から明るくて社交的。その後の経歴もうわさで聞いていたので、華々しい世界を楽しんでいる人なのかなあ、という印象でした。でもやっぱりいろんな悩みがあったりする。

大学や業界も、世間一般のイメージとは違うこともたくさんあるんだろうなと思います。割と生活圏が近かったりするので、そのうちまた飲みにでもいきましょう!

インタビューから数カ月後、デジタル広告担当からスポーツ担当に異動になるとのご連絡もいただきました。いよいよ大好きなスポーツ担当に。高校生の頃からの夢がかなっていてすごい!

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