MR、コンサルタント、トレーダー、そして俳優。その正体は-(山口哲哉さん 長崎西高30回生-1978年)

「長崎西高への進学が、全てのツキの始まりだった」と語る山口哲哉さん。大手製薬会社のMRが、海外人気ドラマ出演を果たす俳優へ。漁師町で育った少年の愉快で刺激的なサクセスヒストリーです。

■こんな人に読んでほしい
 ・進学や就職について、まだはっきりしたイメージが持てない方
 ・MRってどんな仕事?
 ・芸能の世界にちょっぴり惹かれるものがある方

30回生 山口哲哉さんプロフィール

出身中学:福田中学
部活動:サッカー部
進学先:西南学院大学 商学部
お仕事:元MR、自営業コンサルタント、トレーダー、俳優

田舎の漁師町から西高へ。刺激に満ちた学生時代

山口さんが育った福田エリアは、今でこそ住宅地として発展していますが、「福田の遊園地」を覚えている年代の方にとっては中心地から離れたのどかな場所、という印象でしょうか。

山口さん曰く「とにかく田舎。だから西高に進学したときは、カルチャーショックを受けました。都会だし、路面電車もあるし、人は多いし。落ちたら中卒で働こうと、ダメ元で受けた西高に受かったことが、ラッキーな人生の始まりでしたね」。
刺激にあふれた高校生活はとても楽しく、少し羽目を外しすぎて先生に叱られたことも。それでも、いつも3人の先生がかばってくれたそうです。そんな人に愛される性格は、この頃から変わっていなかったのかもしれません。


高校での成績は・・・「下から2番目」だったということで、卒業後は浪人生活へ。予備校でも多くの友人と出会い、「友だちが受けるから」という理由で受験して合格したのが西南学院大学商学部。これも得意だった「日本史」を武器に点数を稼いで合格したそう。

MRという仕事でつかんだ「人と向き合う力」

要領のよさはその後の人生でも功を奏します。大学で運命の女性と出会い、学生結婚。一家の大黒柱となった山口さんが目指したのは、安定して収入の良い仕事。時代はバブル前で、好調な経済の影響がじわじわと広がっていました。その中でも給料が飛び抜けて良かったのが製薬会社だったそうです。「よし、MRになろう!」っと即座に決断。
MRとは、ざっくりいうと医師に自社医薬品を紹介する専門職。科学的根拠に基づいた正確な情報提供が求められる仕事です。

大手製薬会社のMRとして3年間がむしゃらに働いた山口さんは、ここで仕事の「コツ」を掴みます。それは「相手の心に入る」ということ。どんなに正確な説明でも相手の心に響かなければ、共感を得ることはできません。相手を飽きさせないトークに加え、なぜか山口さんには、ここぞという場面でいつもドラマのような面白い展開が起きました。
ある病院でのプレゼン後の出来事です。山口さんは突然の体調不良に見舞われそのままその病院に緊急入院することに。その後、自分がプレゼンした薬を投与されたことで画期的な回復を遂げ、結果的に薬の効果を実証することになりました。おかげでものすごい売り上げにつながったとか。どうやら運が味方をしてくれる人生のようです。
山口さんの人なつっこい笑顔と、テンポの良い話しぶり、そして度々起きるハプニングは、病院の医師たちから「担当はアイツで」と指名を受けるほどになっていきました。

また仕事を通して医師、税理士、会計士、弁護士などさまざまな業界の人達へ人脈を広げ、「頭のいい人たちの思考回路」を学んだそう。これをどう役立てたかというと、「株トレーダー」です。副業で始めた株は、もちろん儲かるばかりではなく、大損したり巻き返したり、こちらも経験を積むことで、徐々に実力をつけていきます。

俳優の道へ。思えばさまざまな伏線があった?!

MRとして全国へ赴任し、最後の赴任地はコロナ禍の神戸でした。コロナ禍で外に出る機会が減り、退職後のことを考えてネットでさまざまな情報を見ているうちに、とある芸能事務所の募集が目にとまります。『俳優』-それまで思ってもみない職業でした。しかしなぜかその魅力が頭から離れず、芸能事務所の俳優育成講座に申し込むことに。そこから山口さんは新たな扉を開くことになります。
講座では演技や制作現場での作法などを学び、受講後は芸能事務所に所属。と言ってもすぐに仕事が来ることはなく、200ものオーディションを受け、一次審査に10受かるかどうか・・・という程度。なかなか結果が出ない日々も、「全然落ち込みませんでした」(山口さん)。その姿勢は、高校時代から変わらない“ダメ元で楽しむ”精神そのものです。
やがて少しずつ仕事が増え始め、ついに地元大手企業のCMに登場するまでになりました。
「数十秒のCM撮影が朝7時から夜11時までかかるなど、もう常識では理解できない世界です」と全てが新鮮な刺激となっています。
思い返せば、MRとして京都に赴任していた際、太秦や料亭で居合わせた大物俳優の貫禄や威厳に、どこか感じるものがあったそう。
「予定が変更になることを『バラす』と言ったり、舞台脇に移動することを『はける』と言ったり業界用語が分かるようになると、なんかワクワクしますよ」と、業界人のお作法も楽しんでいるご様子。

人生を楽しむ極意とは

60代からスタートした俳優人生ですが、わずか2年で、海外の人気シリーズに出演を果たすまでに。俳優育成講座での学びが活かされ、現場の進行を理解し、場慣れした様子の山口さんを見て、他のエキストラから「この仕事長いんでしょう?」と聞かることも多いそう。そんな時は、「まだ2年なんですよ」ではなく、「それほどでもないんですよ・・・」と少しぼやかしてこたえると嘘にならずに、自己効力感も上げることができるとか。全ての瞬間が、楽しむ方向へ変換されています。
退職とともにMRは引退、現在は俳優の他に、株トレーダー、自営業コンサルタントとして、経済活動にもしっかり目を向けています。

そして最近もう一つ肩書きが増えました。それは「民生委員」。「家の庭掃除をしていたら、町内会長と副会長から声かけられて・・・」と語る山口さんですが、人を引きつける魅力があるからこそ、自然と役割が集まってくるのでしょう。
その時々を楽しみ、前向きに進んできた山口さんの人生。
「成功」を求めるより、「楽しい」に目を向ける生き方が、こんなにも豊かな道をつくるのだと教えてくれます。

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